
安富祖・末吉アレハンドロさんは、2019年の沖縄県県費留学生として沖縄県立大学において琉球古典音楽を学んだ。安富祖・末吉アレハンドロさんはオーディオのエンジニアであり、音楽家でもあり、音楽プロデューサーでもある。ペルーとメキシコにおいて学び、メキシコのヤマハ社に勤めた経験がある。現在はリマのプエブロ・リブレ区に在住し、父方は沖縄県の金武町、母方は北谷町にルーツを持つ。今回、安富祖・末吉アレハンドロさんがインタビューを通してペルー新報社の記者に沖縄県での留学経験について語った。
まず、「どのように沖縄県県費留学に応募しましたか」との質問に、安富祖さんは「まず、野村流の友人を通して知り、ペルー沖縄県人会によるお知らせを見ました。最初は将来に向けての計画が大きく変わることから、応募するつもりはありませんでした。しかし、ペルーにおいて沖縄県の古典音楽に興味を持つ人が少ないという現状を考え、ペルーにおいて沖縄の伝統を守るために沖縄県県費留学に応募することを決めました」と説明した。
次に、「沖縄県に着いてまずどのようなことを感じましたか」との質問に、安富祖さんは「すでに沖縄県に行ったことがあっても、飛行機が到着するときに様々な色を持つ海に囲まれた島々の美しさには感動し、沖縄に着いてからは沖縄の人々の温かさが印象的でした」とコメントした。
また、「沖縄県県費留学ではどのような講義を受けましたか。また、留学期間中にはどのようなエピソードがありましたか」との質問に、安富祖さんは「沖縄県立芸術大学では、琉球古典音楽の三線、笛、太鼓、ウチナーグチ、琉球古典音楽のソルフェージュと理論、楽器に関する理論、日本語などを学びました。また、大学以外において三線の製造とメンテナンスについても学び、地域の公民館では旗頭の演舞の練習にも参加しました。また、移民の日にペルーの音楽を演奏する機会があり、その際に三線を使ってコンドルは飛んでいくを演奏しました。その時から様々な機会に演奏するよう頼まれるようになり、ラジオ局でも演奏したこともありました」と振り返った。
さらに、「どうして若者たちが研修や留学に参加しないと思いますか」との質問に、安富祖さんは「研修や留学に参加することは、仕事や家族、友人、様々な計画などから長期間にわたって離れることを意味します。多くの人がそのリスクを考えて応募しないのだと思います。しかし、私は人によってそのリスクを取る価値があるかどうかは変わると思います。ある人はペルーと沖縄の関係を保つことと観光のために研修や留学に行きますが、研修や留学によって人生が完全に変わる人もいます」と語った。
最後に、「ペルーにおいて新型コロナウイルス感染拡大を防ぐための国家緊急事態令が発令された際には、どのような状況でしたか」との質問に、安富祖さんは「私にとっては、より多くのことを学ぶための時間となりました。最初は他の沖縄県県費留学生が帰国している中で、私一人だけ帰国できないことを奇妙に思いました。しかしながら、幸運にも沖縄県の方々、親戚の方々、ペルー沖縄県人会、在日ペルー大使館、沖縄ペルー協会、沖縄県の県費留学生の担当者など多くの方々が助けてくださいました。それらの方々に深く感謝しています。助けてくださった方々のおかげで、留学期間後すぐにペルーに帰国できなくなったという経験は、いやなものにはならず、反対に沖縄県民が持つお互いを助け合う精神を実感することができました」と強調した。
インタビュー:ルベン・カナグスク 日本語翻訳・要約:都丸大輔